阪神・淡路大震災1.17の記憶

先週末は大学を目指す受験生にとっては大学入学共通テスト(旧センター試験)でしたね。

次男も受験生ですが、共通テストは利用しない受験方法ですので、図書館で勉強するということで送迎係(親父笑)しておりました。

僕自身も週末はなんかずーーーっと雨模様だったし、朝もウォーキングできないし、ずっと2日間デスクに座って仕事していました(笑)

とはいえ気温がすっごく暖かくて、暖房なしでもよかったくらいで窓を開けて換気しながらストレッチしては仕事しての繰り返しで…健康なのか不健康なのかわかりません(笑)

阪神淡路大震災から28年

この日の前後は毎年ブログを書いて記憶を呼び起こしています。

同じことを毎年書きますが、思い出すことにより鎮魂の意を忘れないようにしています。

僕は当時大学2回生、大阪の大東市に住んでいました。

住まいは3階建てのマンション、僕の住んでいたのは1階で、マンションのオーナーさんは1階でカフェを経営しながら3階に住んでおられました。

これは5年前に前の住まいを訪れて見学したときに撮影した写真です。

そのマンションは1階は僕だけ住んでおり(というのも1DKが1階だけ)2階と3階はファミリーの間取りでした。

よくオーナーさんがピンポンしてくれて(笑)食材をいただきましたね♪

 

まぁそっちの想い出はさておき、僕はいつものごとく前夜にレンタルビデオ店のアルバイトを終え(深夜2時)帰宅して、ごはんを食べ、いつも朝5時くらいに寝ていたのが通常でした。

大学も朝一の講義からきちんと出席してましたよ(笑)

この日はちょうど大学の後期試験期間でした。

いつものように朝方に眠りにつくころに…「ドドーーーーン」となんか雷のような音と地鳴りがすごくて、ゆったりと大きく揺れています。体感すごく長かったですが、感じると同時にオーナーさんがキャーーーーと大声をあげて外を走っています。その声にも大きくびっくりしましたが、ほどなく揺れは収まり、何回か余震が続きました。

その後、また僕は横になりましたが、なんとなく深い眠りにつくことができず、目が覚めてテレビをつけると…まさに地獄絵図です。高速道路がなぎ倒れています。

まずは両親に電話、と思いましたが電話回線がなかなかつながりませんでした。どうしようもありません。ほどなくオーナーさんが訪ねてくれました「中道さん大丈夫??」

部屋自体も特に何か倒れたとかなく、影響はほとんどなかったのですが、ふと兵庫県の三木市から通学している友人が気になりました。被災場所から近かったので。

午前中は何回か電話してもつながりません。近くに住んでいた友人が昼くらいに訪ねてきてくれました。お互いその三木市に住んでいる友人に連絡を取っていたのですが繋がりません。

昼を過ぎると僕の家の電話がなりました。その三木市に住んでいた友人からでした「大丈夫やった??」

どうやら家は多少ものが落ちてきたりしましたが、被害は少なかったようでホッとしました。

 

その後大学は後期試験は被災者は免除になり、僕らも数科目は免除になりました。

数ヶ月後の神戸

ほどなく復旧作業中の神戸の三宮に友人たちと服を買い物に行きました。

被災後の初三宮です。まだまだ復旧途中の建物だらけでしたが、商売は戻ってきておりました。でも瓦礫に埋もれたお店とか忘れられないですね。

もう28年か…20年以内に起こると予想される南海トラフ巨大地震が杞憂に終わることを祈っております。

 

黙祷。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。


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